ちょっと前にパリでテロがあった。

可愛がって頂いている日本の女優さんが住んでらっしゃる地域だった。ご本人、友人は無事だったけど、色々大変みたい。だから、応援の意味を込めて、私はfacebookのプロフィールを一時的にトリコロールにした。

すると、色々な人たち(外国籍のタレントさん、ジャーナリストなどなど)が「マスコミに乗せられてる」とfacebookやツイッターなどで言っていた。非難されてると感じた。

『あの程度のことは、世の中でたくさん起きてる。ただテレビやfbなどではとりあげられてないだけだ。なのに日本人はニュースだけを見て、フランスだけが可哀想みたいな感じになってる」と。我々の感覚を子供扱いして、平和ボケ、のような、発言をしていた。(私は、元来、平和ボケというのは、素晴らしいことだと思っている。今の時代は、ちゃんと自分を守らねばならないが、人を疑ってかからねばならない世の中の方が本当はおかしいのだ)

私の感覚としてはこういう感じ。
いつもの通勤電車。座席に座っていたら、目の前に体調が明らかに悪そうな人がいた。だから、席をゆずってあげたら、私には見えないところに、もっとずっと慢性的に体調の悪い人がいつも同じ電車に乗っていて、私はそれを知らずにいて、その、さらに悪い人に席を先に譲ってあげなかったことを、責められているようだ。

私はテロも戦争もしてない。誰のこともスパーリング以外で殴ったり蹴ったりしてない。

ただ、すぐそばに大変な人がいたから、応援を送っただけだ。世の中のすべての闘いが早くなくなることを祈っている。

なのに、その、すぐそばの人を応援する行為を非難するような口調で指摘されたら「そんなこと言われるなら、もう誰のことも、応援しない」みたいにふてくされたり「あぁ、私ってダメだ。世間知らずで、偽善者だ」と自分を責める人が増えないだろうか?

私は、もちろん、誰に言われようとも、最初に設定した期間内、トリコロールにし続けたし、どんなことも全般的に世間知らずだとは常に思っているが、このことに関しては後悔も反省もしていない。これからも、自分に余裕がある時は、誰かを助けたい。ない時はまず自分が頑張る。

自分の国が常に戦争をしていたり、テロなどで大変な状態にあることを、やめようと訴えるのはいいと思うが、それをたまたま知らない他国の人間を非難するのは、あまりいいやり方とは思わない。

誰かの無知を非難してもいいのは、自分自身、または、その人がその無知ゆえに自分になにか嫌なことをしてきた時だけ、と思うのだ。

なんか、正月から、こんなことを考えた。

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